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哲学ってものまねだよな。

  • sanokentikukoubou6
  • 2 日前
  • 読了時間: 3分
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経営をしていると 仕事にかかわる人たちや お客さんはどう考えるのかとかめっちゃ気になるひとがおおいとおもう。

恋愛ハウトゥー本に近いかもしれん。

そりゃ人は「自分は特別」とか落ち込んでるときなんか「優しい言葉」ほしいものなんではないかな。

だから「愛はあたえること」とか 「見返りはもとめない」とか耳に聞こえのいい言葉を哲学は流布するよね。そりゃそーだ。


でも現実の世の中にはちゃんと もらっていくだけのテイカー うばわれるだけのギバーがいる。どちらが悪いもくそも ない 特性だから。

上の言葉にならえば現実 心情的には自分の言ってることに成立してるんだから何の問題もない でも現実 ギバーはやせ細り テイカーは太りつづける。

さながら 引きこもりの子を養う親のようだ。 いいとか悪いとかを論じたいんじゃなくて

これは上の言葉にならったらいいことをしてあげるのがその人のためになるのか?

ひきこもりさんは 社会との適応がむずかしいと感じた瞬間があるからそうなった。

生まれつきの特性が関係してることもしばしば。しかるべき診断をうけたら適切な就労支援もうけられたりする。

いずれひとりになる厳しい現実があるならやることはうちのなかで原理主義的にあたえることじゃない。


カラオケとか歌をはじめて 物まねをすると どういう風に声をだすとか

技法的には参考になるけど ずっとその声で歌っていたら 自分の歌にはならない。


ものまねはものまねの技術として楽しむもので

歌を聴くなら そのひとの世界観でききたいものである。


人生や商売にはいろんなケースがあって往々にして原理主義的な頭だと対応できなくなる

きちんとそのケースに自分の責任で向き合うことのほうがよっぽど愛だし

それが自分の言葉だし、哲だ。


だから 自分の考えと責任でつくったもんがたまたまひとによろこばれた。 それが愛情すかね。

道で財布ひろって持ち主がほっとするくらいのかんじ。

ぜんぜん的外れなときもあるし はまるときもある。


商売だったら たまたまはまるだと現実こまるのでせいぜい確度をあげるしかない。

ひとりひとりカタチがちがうからね。

だからオーダーメイドてせいぜいサイズ感くらいなもので奴隷属的対応しないとできないものだよね。明確に自分からつたえるならまだしも。


自分の信じたものをつくる。 わたす。 そういうもんじゃないかな。

じゃなきゃ 音楽なんか カノン進行だらけになるし。定説化させたら。

嫁やお客さんの心根なんて知ろうとするほうが野暮ってもんでい。


足立区生まれ大工の哲した。


 
 
 

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