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大工店賽の歴史

sanokentikukoubou6

更新日:2024年12月3日


じぶんの父は大工さんです。 自分が子どものころは 枠材や土台などは米ヒバ使ってたみたいで帰ってくるといい香りがした。

父は16くらいで田舎からでてきた。じぶんは4番目なんで30近くなってからうまれた。


頭も切れるし仕事もうまいからどこでも番頭つとめて 20前後で独立して 家やらアパートやらお店など何でもやってたみたいだけど、 生粋の職人さんは作るのは興味があるけどお金のことはあとからついてくるみたいな かんじだから 直のお客さんでやりとりするより

仕事持ってきてくれる人と組んだほうがよかったみたいで自分が小学校上がる頃に不動産会社のビルダーになった。 携帯もない時代に6人くらいの大工さんまとめて自分も現場やってた。 一蓮托生のチームで集まれば仕事の話ばっかりしてるよな会社だった。

不動産会社さんの社長も若い大工さんはそだてないといけないっておもってたみたいで

自分が大工になったころはまわりはプレカットで家建ててたけど 自分らは手刻みで建ててた。年季あける5年の間に 墨付けて刻んでを40棟近くこなした。 建売住宅の家の方が

屋根が勾配違いの腰折れだったり 隅木がすごい数あったり。 梁が偏芯だったり。母屋さがりの和室もあったり。 いまよりずっとむずかしい。

それが自分の手刻みの原点です。

だから建売を粗悪品みたいにゆうやつは何も知らないひとです。

雑ならふつーにやり直しさせられますよ。少なくとも僕らがやってた会社は。

自分たちは綺麗にやるのが大前提でやってたので先におやじにおこられます。


自分が修行からもどって3年くらいおやじの会社で働いてたら 度重なるコストカットの要求で 一蓮托生の誰かを切らないといけないみたいになって。

だったらみんなでやめっか。 ってまた竹を割った子ちゃんな話になり

おやじは会社をしめました。


それから自分は個人の大工さんになり 場末な雰囲気の建売の連日 非生産的な話に労力を使うことから解放されたんで  あんまり大工さんがいなくてもできるような仕事だったらまた同じめにあうだろと思って

興味があった木組みの家の工務店ではたらいてみた。

もともともっとめんどい刻みやってたからすぐにおぼえた。

なので 大工店賽は 木組みや古民家再生の仕事ばかりくるので ゴリゴリのごつい家の

事例ばかりなのですが

結局そういう家ってお金持ちしか建てられないじゃないですか。建築費高騰前ならそこまで高額ではなかったけど。 


しかし残していく価値があるものだからこそ 床の間の飾りのように人の手にとることもできない みることもできないようなことに僕らがしてはいけないなと思う

経済的にはたらく。 無用なものはいらない。 職人さんが減っているならむしろ本物がのこってくれるほうがよい。


自分のなかで本当のお金持ちというのは生きた金の使い方ができる人だと思っている。

世の中はそれぞれの生業同士が支えあって生きている。

自分も 道具や 材木林業者 買い支えないといけない人たちがたくさんいる。


生きたお金 に生きた仕事で返す。 そういう人でありたいこれから先も。


今の日本てそうじゃない企業がふえたんだろうな。

取られないように抱え込んでる金こそ死んでいくだけ。

世の人の知恵をかりていろんな仕事をして 増やす。 だから自分だけじゃできないのよ。

本当の意味での複利はね。  と自分は思う。

現実を生きてきたから。  哲学本やビジネス書は言葉の羅列だから 自分が実践してみて初めて生きると私は思う。



 
 
 

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