四人兄弟、たった一人の男の子に生まれました。

六畳一間に六人でちゃぶ台を囲む典型的昭和な家族。

ガラガラ ガラン

「ただいまー。」

 

我が家の玄関はサザエさんちみたいなガラガラうるさい

 

あの引き戸でした。

 

父が帰ってくると

 

ヒバや杉のいい香りがしました。

 

風呂上りに でっかいビール瓶をもって

父に酌をするのがぼくの日課でした。

 

「バカヤロー!ビールの酌もできねえのかボンクラ息子!

こうやってやるんだバカヤロー!」

 

口は悪いけど面倒見のいい親父です。

 

父は日本間を得意とする腕のいい大工でしたが

 

家族の多い我が家を仕事の少ない「いい仕事」で養うのは大変なので、

 

当時仕事がたくさんあった

 

建売住宅の世界に飛び込んでいいたそうです。

 

僕もそんな父の背中を追って

 

大工の世界の扉をあけました。




弟子入りしたのは町の大工さん

ご近所さんがいつも出入りしているアットホームな工務店でした。


ぼくが修行5年間お世話になった親方は福島出身で兄弟で大工さんをしている方でした。

 

お兄さんは物静かですが親分肌の面倒見のいい社長で、

 

弟さんはいつも冗談をいって現場をなごませているムードメーカーでした。

 

足立区は住宅密集地も多いため

 

「工事の音がうるさい」

 

などの苦情が寄せられることがよくありますが、

 

毎日の挨拶や丁寧な対応をして最終的には仲良くなってしまうような

 

人情味のある親方でした。

 

父はストイックで回りをビンビンひっぱていくタイプですが

 

親方は真逆なタイプでした

 

とにかく気が長い

 

どんな小さなことでも誠実に向き合っていました。

 

子どものいたずらで二階のトイレに大量のペーパーを流して

 

水浸しになったときも

 

駆けつけて一階の天井を替えたりすぐになおしていました。

 

「こどもがやったんならしょうがないな。」

「二回はやらないぞ。」

 

親方は20年近くたった今もお施主さんのところへ呼ばれるそうです。

 

修業時代一番に学んだことは、

 

「人々に頼りにされる職人になる」ことです。

 


仕事のスキルが評価につながらなくなる時代の到来

明治維新の様に職人は刃物を捨て、くぎ打ち機という鉄砲をふりまわしていた。。。